中野梓(あずさ)のとある日常
こんにちは、初めまして、あるいはお久しぶりです。私、桜ヶ丘女子高等学校二年生で軽音部の部長(暫定)の中野梓です。(暫定)なのは、まだ、私たちが三年生になっていないから(まだ、春休み中です)、だけなので、そこは追及しないでください。
実は今、ものすごく切羽詰まった状況に置かれています。それは、私たち軽音部の現状です。私たちの高校、通称『桜高』は部活動に必要な最低人数は四人。そして、私たち軽音部の部員は私を含めても三人なのです!
「梓ちゃん、何か心配事?」
私にそう声をかけてきたのは同じく軽音部員でクラスメートの平沢憂(うい)。とにかく何でも卒無く、そしてさり気無くこなしてしまう、ある意味、スーパーウーマン。私が放課後ティータイムという、軽音部のバンドをしていた時のギター&ボーカルだった平沢唯(ゆい)先輩の妹さんなんだけど、はっきり言って、唯先輩よりも先に生まれてきた方が正解だったかもしれない子。
「へ? 私、な、何も心配していないよ」
「あーずさ! 声、ダダ漏れだったけど……?」
慌てて首を振った先にいた、鈴木純(じゅん)が悪げのない顔で笑いながら声をかけてきた。純もやっぱり同じ軽音部員。元々はジャズ研の部員だったんだけど、私が三年になった時に新入部員がいなかったら、軽音部に入ってくれると言った発言を律儀に実行してくれた、ある意味、私の救世主。
「漏れてた、漏れてた」
憂が笑顔のままそう言うと、純は同意の意味を示すように大きく頷いていた。
「……うん、ちょっと考え事」
私は観念してそう声を出すと指を立ててみた。
「一つ、憂のパートが正式に決まっていない」
「……それは……」
「大丈夫じゃない? 憂はなんでも出来るから」
私が出した一つ目の考え事に、二人はそれぞれの意見が口から漏れた。
「えーと、前にセッションをした時、憂はオルガンを弾いたから、キーボード?」
「純ちゃん、決めるの、早すぎ」
純が具体案を出して、憂がもう少し考えようよ、という表情を浮かべると、私は二つ目の指を立てた。
「二つ、ドラムスがいない」
そう。私は純が考えていた事は既に想定済みで、だからこそ、悩んでいるのだ。
「じゃぁ、憂がドラムは?」
「純〜? 憂はなんでも出来るけど、流石にキーボードを弾きながら、ドラムを同時に叩く事が出来るほど、超能力者じゃないよ?」
そう言った瞬間、前にムギ先輩から聞いた澪先輩と律先輩のやり取りを思い出した。確か、(私が不覚にも入部しようと決意した)学園祭でボーカルを担当するはずだった、唯先輩が山中さわ子先生のせいで声がかれて、作詞者である澪先輩にボーカルが移行した時の事だ。
――律! 私とボーカル代わって!
――…そしたら、ドラムどうするんだよ。
――私がやるから!
――んじゃ、ベースどうするんだよ!
――それも私がやるから!
――おーやってもらおうか!! 逆に見てみたいわ!
「……さちゃん? 梓ちゃんってば!」
は! 思い出(と回想)に浸る暇は無いのだ。
「ごめん、ごめん。少し意識が遠くに行ってた」
と、何の話だっけ? あ、そうだ、私の心配事の件だ。
「まぁ、心配事、その三」
「まだあるの?」
私が三本目の指を立てると、純が呆れた表情で私を見た。
「ボーカル自体は、いざとなったら私が歌ってもいいんだけど、曲を作るのって、結構大変だよ?」
「え? ふわふわ時間(タイム)とかは駄目なの?」
予想していた純からの疑問に私は頷いた。
「だって、ふわふわとかは放課後ティータイムの曲だもん」
そう。私たちがするのは先輩たちに私が加わった、放課後ティータイムじゃなくて、新しい軽音楽部で、そんなバンドでたった一人だけ残った放課後ティータイムのメンバーである私が好き勝手に放課後ティータイムの曲を使うわけにはいかないのだ。
「梓ちゃん、歌詞くらいなら、私が作ってくるよ?」
「そう。じゃぁ、憂、よろしく」
あまりにも自然だった流れに、私は奇妙な疑問を持った。ちょっと待て。今、憂は『歌詞くらい』とか言わなかったか?
「憂!」
「は、はい!」
思わず声が大きくなった私に、憂が僅かに下がりながら、返事をした。
「今、歌詞くらい、とか言わなかった!?」
「うん、言ったけど……?」
憂は知らないのだろうか? あの、意気込みとは裏腹に、いざ何か書こうとした時に感じる、とてつもなく厳しく、そして苦難の『歌詞作り』を。
「前に軽音部で各自歌詞を書いて来い、とか律さんが言っていたよね?」
「うん、それは……」
そうだけど、と言いかけて、私は言葉を切った。そういえば、あの時、唯先輩が『ごはんはおかず』の後に持って来た歌詞は、ちゃんと韻を踏んでいたし、唯先輩は『憂にちょこーっとだけ手伝ってもらいました』とか言っていなかったっけ? 残った全員(もちろん、私も含む)が『絶対にちょこっとだけじゃない』と思った事を思い出した。
「で、実はまだ問題が……」
私が四本目の指を立てると、憂も純も半分、顔を引き攣らせながら私を見た。多分、どこからそれだけの心配事やら問題点やらを出せるのか、という気持ちなのだろう。
「さわ子先生の洗礼に耐えられるだけの強靭な精神力には、ちょっと……」
「あぁ……。あれは確かに……」
はて? 純の言葉に含みがあるのはどうしてだろう?
「梓ちゃん、純ちゃんは梓ちゃんよりも前に、一回軽音部の見学に来たんだよ」
疑問を一発で氷解させる憂の言葉に、私はさわ子先生の悪行がどれほどの物なのか、ふと考えた。いくら何でも、一回見ただけで……すみません、純さん、私の方が甘かったです。いったい、さわ子先生は澪先輩に何を着せて、何が起きたのか、ちょっと考えれば想像つきます(ついでに言えば、唯先輩とムギ先輩が喜んで着た姿も、だけど)。まだ入部をしようか悩んでいた時、部室のドアからこそっと見た時、全員ジャージだった事を考えれば、どれだけ奇抜な衣装だったのか、リアルに脳裏に思いつきます。
「で、最後の心配事」
「まだあるの!?」
憂さん、純さん、そこで声をハモらせますか?
「実は……」
「実は……?」
にじり寄る二人に僅かに気圧らせながら、私は五本目の指を立てた。つまり、今、私の右手はパーの状態。
「バンド名が決まっていないから、講堂使用申請書に書かなくちゃいけない項目が埋まらない」
「……匿名希望、とか?」
「どんなバンドよ!?」
純が僅かに首をかしげて言った言葉に私が大声を上げると、憂が面白そうに笑みを浮かべていた。
「憂には名案はあるの?」
「特に、無いかな? ただ、バンド名は決めなくちゃいけないの?」
「だって、講堂使用申請書には……」
私が書きかけの講堂使用申請書を見せると、憂は小さく、しかし何度も頷いた。
「私は必要ないかなぁ、と思うんだけど……」
「え……?」
憂が言った言葉に私は自分の方に申請書を向けた。
「前に、純ちゃんが言っていたよね? 軽音部って五人が結束して見えるから、外から入りにくいんじゃないかな、って」
う……。確かに言われた気がする。
「多分、今も同じだよ? バンドって、名前があると入り難くなると思うよ、私は。だから、バンド名って新歓ライブを成功させて、新入部員が入ってもらってから考えた方がいいと思うな」
そう、なのかな? 私は……。
「そうそう、憂ちゃん、いいこと言うわね」
「ひゃぁ!」
私の背後から聞こえた山中さわ子先生の声に、私は慌てて後ろを振り返った。
「あ、山中先生、おはようございまーす!」
「憂ちゃん、純ちゃん、おはよう。梓ちゃん、あまり固い事ばかり考えても前には進めないわよ?」
し、神出鬼没なんだよね、この先生。大体、部室の入り口から私たちが会話をしている机まで、どれだけあると思っているんですか、先生。足音一つさせずに、私の背後に立つなんて、やっぱり、どこかで忍びの修業をしていたとしか……。
「ふつーに、入って、ふつーに梓ちゃんの背後に回って、ふつーに声かけたわよ?」
「だから、なんで先生まで心の声にツッコミ入れるんですか!?」
「梓、時々、心の声を口にしてるよねー」
「うんうん」
頼むからにこやかに言わないでください、純さん、憂さん。最近、ようやく思い知ったのです。意外と律先輩は偉大だったという事に。この先生を手懐けるには、律先輩並みの強靭な『大雑把さ』が必要なのだと。
「それにしても……あ、憂ちゃん、私、今日はロイヤルミルクティーで」
そして、ムギ先輩の偉大さにも。実に切羽詰まっているのは、私には何のバックボーンも無い事なんです。先輩たちがいた時は、生徒会にも大きなつながりがあったし(生徒会長だった和(のどか)先輩は唯先輩の幼馴染だったし)、合宿で行った別荘はムギ先輩の家の持ち物だったし、あ、去年の夏フェスチケットはさわ子先生がくれた物だったけど、その辺の事情を純に説明していなかった気もするし……。
「あ、そういえば、さわ子先生」
「何、梓ちゃん?」
憂が用意したお茶を口に付けながら、私の方を見るさわ子先生は、既に『音楽教師、山中さわ子』から『軽音部顧問、さわちゃん』に変わっていた。
「ここのティーセットは撤去しなくてよかったんですか?」
「どうして?」
「え、いや、その、ここのティーセット、ムギ先輩のじゃ……」
「だから、そのムギちゃんが置いて行ってもいい、とか言っていたもん」
言っていたもん、じゃないです、さわ子先生。明らかに私物です。しかも、その手にしているティーカップ、セット価格で先生の給料の半分はゆうに吹っ飛ぶだけの値打ち物である事を知っていらっしゃいますか? ついでに、今飲んでいらっしゃるお茶は、一杯で普通の喫茶店でのケーキセット二つ分位はします。
「うーん、ここに来ると、砂漠のオアシスよねぇ……」
「いや、そうじゃなくて」
そう言いつつも、私はふと疑問を思い出した。
「先生、バンド名を決める必要がないっていうのはどうしてですか?」
「ん? 憂ちゃんが言っているとおりよ。私も、昔、軽音部でデスデビルを組んでいたからわかるけど、バンドって、名前が決まっていると、入り難くなっちゃうのよ。放課後ティータイムもそうだったんじゃない?」
あ、そういう事か。私が入部した時はただの『桜高軽音部』だったのだ。バンド名が決定したのは私が入部した後。しかも、かなり後の話で、なんと『桜高祭』の直前にさわ子先生が勝手に決めたんだった。それまでの軽音部は、この『名称』の欄に何を書いていたのだろう?
「さわ子先生、知りませんか?」
私の疑問を憂が口にしてくれた。
「さぁね。ただ、律ちゃんたちの事だから……」
――えーい! やってられるかぁ、こんなもん!
――おい、律!
――こんなもん、テキトーでいいんだよ、テキトーで!
「てな、感じじゃないの?」
うわ、リアルに想像できる。ありえそうを通り越して、確定事項かも知れない。
「んじゃ、名称は『現在募集中』と……」
純さん、何をお書きになっていらっしゃる?
「はい、申請用紙完成!」
いや、だから……。まぁ、いいか。新入部員をビシバシ勧誘して、廃部から軽音部を救うのが、私の部長としての最初の仕事。うん、そうだ。軽音部が存続しなくちゃ、バンド名なんか意味がないんだ。よし、それじゃぁ……。
「よーし! 絶対に新入部員をゲットするぞぉ!」
「おー!」
私が拳を振り上げると、憂も純のそれにならって拳を上げてくれた。
「先生、練習を見てください!」
「いいわよぉ。がんばりなさい」
その日の帰り。私たちは近くのハンバーガーショップでささやかなお茶をしながら、何気ない会話を繰り広げていた。
「もうじき三年生だね……」
「うん、そうだね」
「クラス、一緒だといいね」
私が呟くと、純と憂がそう答えてきた。
「お姉ちゃんが言ってたよ。さわ子先生のおかげで三年生のクラス替えで、全員同じクラスにしてもらったって」
「……さわ子先生に相談する?」
「いや、しなくても、してくれるから」
二人の言葉に私はそう切り返すと、ふと気付く事があった。
「ねぇ、憂、純?」
「ん?」
「何、梓ちゃん?」
大した話題でもないのだが、それでも三年生だからする事もある。
「進路、どうする?」
「あー、そっか、もうじき三年生だから、そこかぁ……」
「梓ちゃんは決まってるもんね」
憂、それってどういう事ですか?
「あれ? 梓ちゃん、N女大じゃないの?」
な、何故それを!
「え? 違うの? 私はそこだよ?」
「えー? じゃぁ、私もそこに行くー」
純さん、その程度で決めると、去年の唯先輩と律先輩の姿が浮かびます。進路希望用紙を学園祭が終わった後に提出した、その姿が。
「お姉ちゃん、すっごく楽しそうに入学式を待ってるよ」
うん、それ位はわかる。私が桜高に合格した時、嬉しさで毎日が長く感じたもん。
「そだね。私もN女にしようかな」
「うん!」
「私も。唯先輩でも受かったんだから、私でも受かるだろうし」
「純ちゃん、ちょっと、ひどい……」
うん。わかる、わかる。唯先輩でも受かったんだから、は言い過ぎ。唯先輩、何故か知らないけど、何かを始めると、上達はものすごいのだ。ただ、問題はところてん式にそれまで習って来た事を忘れてしまうだけで。私が感動した『桜高祭』でのライブ。その時に聞いた録音テープのギターも、決してうまくないのに、聞いた時に心が震えた新歓ライブの時も、唯先輩のギターはすごかった。でも、練習となると、何故か下手なんだよね(ついでに、音楽用語もろくに覚えてくれなかったし)。
「……でさ、話は戻るんだけど、新歓ライブ、曲どうするの?」
「え?」
「いや、いくら結構楽観的な私でもわかるんだけど、新歓ライブって事は、入学式が終わったらすぐじゃん?」
そうだった。迂闊にも、こんなにも簡単な問題を私は見落としていた。
「そだね。曲を一から作って、練習して、新歓ライブに間に合わせるのは無理か……」
「梓ちゃん、大丈夫だよ?」
「え?」
「放課後ティータイムの先輩たち全員に、今メールを打っておいたから」
憂はやっぱり出来た子だ。律先輩が
――憂ちゃんくれ!
とか言っていたのも頷け……。
「あ、メール。唯先輩からだ」
「へー、どんなの?」
純と憂が私の携帯を覗き込んできた。
『あずにゃん、何か遠慮してるのかな? 私はいいと思うよ。だって、あずにゃんは放課後ティータイムのメンバーだもん』
唯先輩のメールにしてはかなりまともな……。と、次は澪先輩からだ。
『気にしなくていいんだぞ。梓は放課後ティータイムのギタリストなんだから』
うん、澪先輩らしい……。と、今度はムギ先輩?
『別に構わないわよ〜。だって梓ちゃんが部長さんだもの』
ふむ。ムギ先輩もですか。と、なると、残るは……あ、既に受信ボックスに一通、メールが届いてる。
『あーずさ、何、遠慮してんのさ。らしくないぞ、らしく。放課後はいつだって放課後だって、唯も言ってたじゃん? それに、部長の梓が決める事を、OGの私たちがとやかく言う事でも無いだろ?』
全員、了承ですか。て、皆さん速過ぎです。メールの返信。しかも、メールを打った憂にじゃなく、きちんと私に返ってくるところ、団結力に満ち溢れているし。
「じゃぁ、新曲は今年の学祭用で、新歓ライブは放課後ティータイムの『うい・あず・じゅん』バージョンで行こうか?」
「さんせーい!」
こうして、私の高校生活最後の新歓ライブでの目標は決まったのだった。
「目指すは、新入部員五人ゲットぉ!」
「おー!!」
ちょっと、ハードル上げ過ぎたかも……。
【中野梓のとある日常・完】
お読みいただきありがとうございました(さすらいの音使い)
お帰りは
こちら(トップページに戻ります)から